アニマル×エデュケーション
Animal と Education がテーマのオージー娘が綴るつれづれ日記。

転がりながら築いてきたもの

「Yukaさんの今があるのは、これまで何年もかけて築いてきた人脈の賜物ですよ。」

親しい友人のそんな何気ない一言が、自分が今いかに恵まれているかを気づかせてくれ、感謝が込み上げてきた日曜の午後。言われてみたら、確かに今週末一つとっただけでも、本当に色んな人との関わりが私の毎日を充実したものにしてくれている。今週末は特に色々な人と一緒に時間を過ごし、新しい出会い、数年ぶりの再会、いつもの仲間との楽しい時間、色々あって盛り沢山でした。ふだん記録にも残さずに過ぎていく週末のこと、こう気づけた時に書き残してみようかな。


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〈奇麗な夕焼けを背に寝床に就くキバタンの群れ。〉
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転がる石に苔むさず

図1

転がる石に苔むさず という諺をご存知でしょうか。英語ではA rolling stone gathers no mossと訳されたりするのですが、実はこの諺、日本と英語圏(特にアメリカなど)では異なる解釈をされている諺の一例なんです。

日本では、苔は観賞用にわざわざ時間をかけて育てたりするように、何かが「苔むす」ことを「美しい」と捉える傾向にあります。実際日本人の私も、深い森の中で苔に覆われた大木や岩を見ると、その美しさに何か神聖な気持ちになるものです。苔は、環境の変化が少ないところにじっくりと時間をかけて育つので、苔が生えるということは、安定した状態が長く続くことを象徴し、それが国歌「君が代」の中にも歌われています。では「転がる石に苔むさず」ということわざは日本でどういうふうに使われるかというと、「あまりコロコロと仕事や環境などを変えていると何も身につかない」「一つの場所に腰を据えて時間をかけて色んなものを築き上げていくことが大切」という意味で使われるようです。実際、履歴書の職歴欄に転職歴が沢山書かれていると日本では就職に不利になるのが現実。一つの場所に正社員として長くいたという実績の方が高く評価される社会です。

一方アメリカなどの英語圏の国では、苔(moss)は“石についてしまう汚れ”というふうに捉え、上のことわざの中でいうと、苔は“長い間同じ環境にいることで知らず知らずに身についてしまう悪い癖や、偏った考え方”などを例えるそうです。つまりA rolling stone gathers no mossのことわざは、「積極的に自分から動いていれば、余計なものに惑わされず、常に新鮮でいられる」という解釈となります。履歴書の職歴欄にも、様々なジャンルの仕事をしたりコミュニティ活動をしたりという履歴がある方が「幅広い経験とスキルがある」と判断され、就職にも有利になります。


どちらの解釈もそれぞれの文化や考え方の傾向を表していて、真逆な解釈ながらも、両方に納得できるので、私はよく“国が違えば考え方も違う”という話をするときにこの諺を例に出します。

私のこれまでの人生においても、この解釈の違いをとても実感しました。今日はそのことを自分のこれまでを振り返りながらまとめてみます。


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新しい風

去年いっぱいで4年務めた学校のポジションを降り、自分の生活の多くを占めていたものが一つ減りました。授業やイベントの準備、メールのやりとりなどに自分の時間の多くを費やしていたものから解放され、心に余裕ができた結果、それまで忙しくてなかなか会えずにいた人と会うことができたり、新しい出会いや数年ぶりの人との再会の機会も作ることができ、本当によかったなと思っています。体調もずっと好調で、「あれがしたい」「これもしたい」と色んなワクワク感が沸いてきて、5年前の絶好調だった時の心の感覚が戻って来ているように感じています。
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<ゆったりと家でガーデニングをする余裕も出てきた今日このごろ。>

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次のステージへ

今年ももうすぐ終わりですね。
もう知っているかもしれませんが、実は私 今年いっぱいで4年間勤めた学校のポジションをひとまず別の方にお譲りすることにしました。

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<職場の送別会にて>




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不運の中の幸せ

前回、信じられないほどの不運続きな状況を書いてから、さらに1か月半。車を盗まれてからはもうすぐ3か月が経つ。信じられないことに、愛車はまだ修理から帰ってきていない。先月しびれを切らして修理会社に電話したところ、リペアラーとメカニックスの間でミスコミュニケーションが生じていて、ペーパーワークが行ったり来たりしていただけで、2か月待っている間、肝心の修理は行われていなかった!不満を伝えてもリペアラーは「私たちはベストを尽くした。メカニクスが信じられないわ。」というし、保険会社に不満を伝えても「私たちはこれ以上何もできない」という。謝る言葉もなく、ただひたすら遅れている“理由”を説明してくるが、言い訳にしか聞こえない。幸い同居人と彼の車は戻ってきたので、今は二人で1台をシェアする生活。仕事にも家庭教師に行くにも、送り迎えか歩きの生活。ガソリン代はいつもの倍かかるし、もちろん同居人の生活の自由度も減ってしまっている。けれど、車が一台でもあってありがたい、と思うようにして、それ以上は考えないようにしている。



そして、家のオーナーが突然家を売ることにして、5月末までに引っ越せと言われていた件。
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不運つづき

ここ最近、不運なことがすごく重なった。
12月末に巻き込まれた交通事故による車の修理に1ヶ月半もかかり、2月初めにやっと直って帰って来た愛車が、そのたった2週間後に泥棒に盗まれ、一晩乗り回された挙句に翌日壊された状態で草薮に乗り捨てられていた。私の車だけでなく、同居人の車も。2台とも修理が必要で、警察が指紋などを集めるのを1週間待ってからそれぞれの保険会社の指示に従い、修理に預けることに。それからまたさらに一ヶ月半、どういうわけか未だに修理は終わらない。修理会社に確認の電話を入れても、色々と理由を言われて先延ばし先延ばしで今に至る。
車がない間、保険会社や複数の友人から車を借りては返して毎日の移動手段をまかなってきたが、12月の事故から数えてその代車の数はついに2桁に突入。しかも、車の盗難事件の後に数週間後やっと借りられた保険会社の代車を借りてたった2日後、出勤途中の渋滞で後ろの車に突っ込まれてしまい、ダメージ。もうあまりの不運続きに笑うしかなかった。その代車の代車も返却期限が過ぎ、有料のレンタカーでしばらく繋いだ後、現在はありがたいことに知り合いの人が娘さんの車を貸してくださっている。
車を貸してくれた多くの知り合いの方や保険のサービスにはもちろん感謝しているが、自分の名前で保険に入った乗り慣れた車に早く乗りたいというのが本音だ。

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2015年を振り返る

2015年のコミュニティ活動暦を振り返りながらししみじみと思い返す。今年もよく動いたなぁ。折り紙もピアノもウクレレもドライブも旅行も楽しんだ。仕事も頑張ったし、体のメンテナンスにもそれなりに時間を費やしたし、プライベートも充実していた。どのタイミングを切り取っても、私は人と関わりながら自分の好きなことをシェアするのが大好きで、絶えずそうしてきたなぁと。それが仕事であれ、コミュニティー活動であれ、趣味であれ。そんな風に毎日を楽しめるのは、周りの人が興味を持ってくれたり、頼ってくれたり、一緒に時間を過ごしてくれるお陰。2015年も充実な一年でした。周りの皆さまに本当に感謝です。そして、2016年もどうぞよろしくお願いします。

ちなみに今年のコミュニティ活動暦と今年作った折り紙作品の写真たちを以下のページにまとめてみましたので、よかったらご覧ください。
2015年コミュニティ活動暦: http://animal-education.jimdo.com/animal-education-works/2015/
2015年折り紙作品: http://animal-education.jimdo.com/origami/2015/

3.11に想うこと

昨日で東日本大震災から4年が経った。あの時私はケアンズに引っ越して間もないころで、新生活に馴染むのにいっぱいいっぱいで、テレビも見ない生活を送っていたため、事の重大さに気づくのに時間がかかった。幸い私の家族も友人も誰も大きな被害に遭った人はおらず、原発事故の意味することもすぐには呑み込めなかった。事故から数か月経った頃から、放射能から逃れるために当てもなく子連れでケアンズに移住してくる家族が増えたことで、ジワジワと日本で震災後何が起きているのかを実感させられるようになっていった。

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 2012年「被災地の旅」日記より

あの日日本にもおらず、メディアや人を通じてしか状況が分からない事が何となく恥ずかしいというか、海外に住む日本語教師として心に刻んでおかなければいけないことだろうと思って、震災から1年半後の帰国時に、被災地まで行ってきた。自分の目で見たこと、現地の人に直接聞いたこと、そこで感じたことなど、このブログにも書いていたので、今日をきっかけに読み返した。(「被災地の旅」 http://yuka2005diary.blog6.fc2.com/blog-entry-265.html
また、日本のテレビが見られる友人の家にお邪魔して、今日は震災関係の特集を見させてもらっていた。自分で訪ねた被災地の映像が映る度、その時に感じた気持ちが強く蘇り、これからも自分のできることを続けて行こうという気持ちになった。


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変えられないことを受け入れること その5

職業がら、自閉症やADHDと言われる注意欠陥多動性障害などの発達障害を持つ子供たちを相手にすることも多く、また自分自身に関連付けられることも多いため、これらの発達障害には人一倍知識と理解を深めてきた。こういった発達障害の特徴が当てはまる人たちに対する社会の理解を深める機会を何とか作れないかとこれまでしょっちゅう考えてきたきたものの、自分は専門家ではないし、簡単に理解を得られるような内容ではないセンシティブな内容だし、下手すれば自分自身を不利な状況に追いやるようなことにもなり得るので、機会をなかなか作れずにいた。

今年に入って担当するクラス数が倍に増え、教師として発達障害を抱える子供を相手にする機会も増えた。そして自分自身も、発達障害に当てはめられるような「自分の中の壁」と真剣に向き合う場面が何度もあり、「やっぱり発達障害について世の中にもっと知って欲しい」と思う気持ちがどんどん強くなっていった。

スクールホリデーに入った今、発達障害に関するウェブサイトを読んでいたら、4月が「Autism awareness month(自閉症に対する認識向上の月)」だと書いてあった。また、日本のテレビ番組でも少しずつこういった障害について取り上げられているのを見たりして、伝えるとしたら今かもしれないと思った。そう気づいたこの時に、いつも伝えたいと思っていた胸の内を、勇気を出してつづってみようと思う。
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魔法の質問講座

「質問で人生は変わる」というスローガンで「魔法の質問講座」を世界中でされて回っているマツダミヒロさんという方の講演会に行ってきました。
今回のテーマは「お金と幸せ」というテーマでしたが、素直に感じたテーマは、お金というよりも「仕事と幸せ」だったのかな?と思いました。そのテーマでいうと、1)需要もあり2)自分の得意分野も活かせてて、なおかつ3)仕事が好きと思えている今の自分は、かなりハイランクの「幸せ者」になるのかなということに改めて気づかされました。まぁ、教育はビジネスとはまた違うから、教育という仕事に関しては「お金が入れば幸せ」というわけではないので、その部分に関しては疑問は残りますが。。お金云々を抜きにして色々考えた結果、自分が心から『幸せ」と感じられるために唯一あと必要なものは「自信」だなと思いました。自分に自信さえ持てれば・・・とも思ったのですが、でも自信がないからこその努力体質でもあるし、自分に自信の持てない子供や若い子の気持ちが分かってあげられるし、と思うと、むしろ自分のそういう部分もポジティブに受け入れて、100%自信満々に「私、幸せです!」と思えてなくても、頭で「幸せ」って分かってるんだからそれでいいのかなと。というか、「好きなことしてお金が儲かってるので幸せです!」と自信持って言いきれてしまう方が何か危険な気がしてしまうので、やっぱり私は100%の幸せを求めずに、常に疑問を持ち、考えながら進んでいくことが自分の生き方なのだなという結論に落ち着きました。
というわけで、今回も周りの皆さんとは全然違う捉え方をして全然違う答えを見つけて帰っていった私でしたが、今日はそれさえもすんなりと受け入れて帰れたので、まぁ収穫なのかなと。これからも自分らしさをどんどん仕事や活動に活かして『幸せ』をキープしつつも、教師として、また一人の人間として、考えること、つまり自分に質問を問いかけることを続けていきたいと思いました。

神棚

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日本で神主さんをされている友人が彼の神社から神棚を持ち帰って来てくれました。 現役の神主さんとケアンズでお知り合いになれて、その人に直接お札を書いてもらえるなんて、本当に人とのご縁に恵まれていると思う。
というわけで、今日からマイルームに神棚が設置されました。お水、お米と常緑樹の葉っぱをお供えして神様を迎え入れる準備をしました。神主さん曰く、どのように飾らなければいけないとか毎日拝まなきゃいけないとかそういう決まりは特になく、自分が日々神様に感謝の心を示せるのであれば形にとらわれることはないそうです。というわけで、神棚に面するときは感謝の気持ちをいつも忘れないように、生徒や親御さん、友人などからもらったプレゼントも一緒に飾りました。Japan Expoでみんなで作ったサクラも窓の両脇から垂れ下がっているので、それがしめ縄替わりになりそうです。
日本人として、また人間として日々生かされていることを感謝する習慣の延長として、今日からなるべく毎日神棚にお供えと礼をするようにしていこうと思います。

変えられないものを受け入れること その3

前回のつづき

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変えられないものを受け入れること その2

きのう、聴覚処理障害の問題(前々回参照)とコミュニケーションの支障から来る不安症のことを、ある所属先で打ち明けました。常にノイズがある状況下でチームワークをしなければいけなかったり大人数で会話したりしなければいけない状況が続いたのと、これからも続くことが予想されたので、これ以上周りの人に見えないストレスを増やさないために、きちんと話して理解してもらうべきだと思ってのことでした。自分の学校の生徒とその親も聞いている状況下でした。本当に本当に勇気が要りました。言わないとやってられないようなほどにまでストレスになってしまったことが、悔しくてしかたなかった。


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「はじまり」

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今日はなんだか新しいスタートを感じた一日でした。

先週でちょうど掛け持っていた二つの仕事のうち一つの契約が終わったのですが、終わった直後の数日間は、ホッとした反面やっぱり何か物足りないような、平日のルーティンに空いてしまった空白をどうやって埋めていこうかという不安がありました。そんなタイミングでやってきた、充実の日曜日。「今週からのYukaは、もっとあなたらしく生きられる機会に恵まれますよ。」と神様に言われたような、そんな気分になった一日でした。

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変えられないものを受け入れるということ

最近、物事がうまく行っているのに、ふとした瞬間に不安感に苛まれる。大した不安ではなくて、いつも通り忙しくしていれば忘れられる程度のもの。仕事も自分に合った職場から二つも雇ってもらい、一緒に働く先生にも生徒にも恵まれ、折り紙も太鼓も出番が次々に来て、休みの日は友人の家にお呼ばれしたり遊びに行ったりと、傍から見たらこれ以上の充実はないのじゃないかと思われるほど充実している。自分でも、こんな毎日恵まれているのになぜ小さな不安なんかと向き合おうとするんだろうって思うのだけど、なんかこう、この不安感は気付かないふりをして通り過ぎてはいけないような気がしている。なので、ここに考えを書き残すという形できちんと向き合っておこうと思う。

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