アニマル×エデュケーション
Animal と Education がテーマのオージー娘が綴るつれづれ日記。

二度目の手術

s1_0.jpg


3日前、2度目の肩の手術を受けた。11月にマウンテンバイクから落ちて鎖骨が外れ、自然治癒を勧められたもののきちんと治らず、1月に日本に帰って金属プレートで骨を固定する手術を受けたのだが、そのプレートを外す手術を今回受けたわけだ。本当はまた一時帰国して同じ病院で抜いてもらおうと思っていたのだけど、震災の影響で病院が通常通り機能しておらず、あえなくこちらで受けることにしたのだった。
しかし。日本で受けていたらどれだけ心配せずに済んだだろうと思うことが沢山あった。
まず、医療費のこと。日本と違ってオーストラリアでは医療保険は国民全員が入るものというわけではなく、基本的にはいくつもある保険会社から自分で選んでお金を払って加入するという形。社会人になったばかりの私には、保険のことなんてさっぱりわけが分からなかった。とりあえずみんなが加入する保険に入って病院の担当者に医療費の見積もりを聞いてみたけど、どのくらいカバーされるかは保険会社の人に聞かなきゃ分からないと言われた。保険会社の人は、手術が済んでからじゃないと分からないと言った。結局ものすごく大雑把な見積もりしか分からないまま手術の同意書にサインせざるを得なかった。おかしな話だけど、サインしないことには手術は受けられないし、他の病院に行ったって結局同じ目にあうのだろう。

手術の前に知っておきたいことがいくつもあった。手術後運転ができなくなるから、友達に迎えに来てもらって泊まらせてもらえるようにお願いしなければいけなかったのだけど、日本で手術をした時は麻酔と痛みの影響で手術後2日間は常に付き添いが必要な状態だったから、迷惑をかけないか心配だった。手術が何時ごろなのか、自分で立って歩けるまで何時間くらい要るのか、食事はどうするのか、痛くて動けなかったらどういう介助が必要になるのか、付き添いを頼んだ友達に事前に伝えておきたかった。だけど、電話で聞いても「その日の状況によるから今は分からない」「麻酔の効き目や痛みの度合いは人によって違うからはっきりしたことは言えない」そんな答えしか返ってこず、忙しそうに電話を切られる。こっちだって仕事の合間にしか電話をかけられないのに、そんな対応をされて、すごく不安になって、仕事も手につかなかった。

手術をするドクターからも、前回の手術をどういうふうにしたとか確認する様子もなく、心配になって自らレントゲン写真、MR、CT検査の画像などが入ったCDと手術の記録のコピーをドクターのクリニックに届けに行ったりもしてしまった。その時ドクターはいなかったから受付の人に渡したのだけど、受け取りましたとの連絡があるわけでもなく、結局ドクターと最終的な確認をしたのは手術を始める10分前だった。
ドクターは私を見て言った。
「君は今日はプレート抜くだけね。OK,簡単、すぐ終わるよ。Don’t worry!うちのクリニックのスタッフが、君がすごく不安がってたと言ってたけど、心配するな。私はスウェーデンで訓練を受けて、この道ウン十年のベテランだ。手術の記録を詳しく読まなくても、経験から何をすべきかちゃんと分かってるんだから。」
そんなことを、手術の直前になって言われても!もっと早く言ってくれたらどんなに安心できたことか。それに、いくらベテランだからと言っても、日本の医者が手術をしたのだから、自分の今までの経験が通用しないかもしれないとか思わないのだろうか。海外で初めて手術を受ける若者(?!)に、安心して手術を受けて欲しいとかいう心遣いというものはないのだろうか。このドクターのクリニックのホームページを見て、数々の手術経験と慎ましやかに書かれた治療方針から彼を選んだのに、逆に豊富な経験が行き過ぎた自信になってしまって、肝心な“患者の心のケア”というものが失われてしまっているように思えた。
そんな心境で手術台に就き、麻酔をかけられ、気がついたときには他の患者さんと一緒に回復室にいた。眠りの中、ナースが時々様子を見に来て、軽く食事を食べてまた寝て、夕方4時ごろ、友達が迎えに来てくれたときに起こされた。肩に入っていたプレートを見てみたいとナースに言ったのだけど、もうドクターは帰ったと言う。プレート、捨てられてしまったのだろうか。見てみたかったなぁ・・。

その後友達(日本人)の家で休ませてもらって、おいしいご飯もご馳走になった。日本人と一緒にいるだけで、とっても心が楽だった。それまで溜めていた仕事のストレスと手術の不安から一気に解き放たれて、楽しくおしゃべりして、次の日には一緒に買い物もして、見違えるように元気になった。肩に痛みはあるけど、心が軽くなったら、体も軽くなった。手術前より手術後の今の方が元気な気がするのは、まさに「病は気から」というやつだろう。




今回改めて思ったけど、医療に携わる人が絶対に忘れてはいけないことは、患者の心のケアだということ。どんなに経験があって腕のいい医者でも、患者が安心して治療を任せられると思えなければ、いい医者とは言えない。むしろ、自分の腕に自信過剰で患者の立場を考えられない医者なんて、民間医療に携わるべきじゃないと思う。一度貧乏になって、体を壊して、切羽詰る思いでいい医者を探してみろ!と思う。
お医者さんというものは、経験が増えて偉くなるにつれて、医療が必要な一般人の立場がだんだん分からなくなっていくものなのだろうか。最近学校で仕事をしながら感じていたのだが、長く教師をやっている先生はクラス全体のコントロールはうまいけど、子供一人ひとりの気持ちがだんだん分からなくなっていってしまうのかな・・・と。どんな職業でもそういう傾向はあるのかもしれないし、全体のビジネスを見るか個人の権利を見るかでどっちがいいとは一概に言えない。けど、医療みたいに個人の生活、家族、お金、場合によっては将来にまで影響するようなことを仕事にしている人たちには、常に個人の権利のことを優先して、「助けたい」という気持ちを持って仕事をして欲しいと思った。

オーストラリアの医療全般がこうなのか、今回たまたまハズレだったのか、私が極端に心配しすぎなだけなのか、今回だけじゃ分からない。けど、やっぱりこういう公共サービスに関しては、日本ほど安心な国はないかもなぁと、改めて思ったのでありました。
スポンサーサイト

この記事に対するコメント


この記事に対するコメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する


この記事に対するトラックバック

トラックバックURL
http://yuka2005diary.blog6.fc2.com/tb.php/144-5791a9fb
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)