アニマル×エデュケーション
Animal と Education がテーマのオージー娘が綴るつれづれ日記。

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変えられないものを受け入れるということ

最近、物事がうまく行っているのに、ふとした瞬間に不安感に苛まれる。大した不安ではなくて、いつも通り忙しくしていれば忘れられる程度のもの。仕事も自分に合った職場から二つも雇ってもらい、一緒に働く先生にも生徒にも恵まれ、折り紙も太鼓も出番が次々に来て、休みの日は友人の家にお呼ばれしたり遊びに行ったりと、傍から見たらこれ以上の充実はないのじゃないかと思われるほど充実している。自分でも、こんな毎日恵まれているのになぜ小さな不安なんかと向き合おうとするんだろうって思うのだけど、なんかこう、この不安感は気付かないふりをして通り過ぎてはいけないような気がしている。なので、ここに考えを書き残すという形できちんと向き合っておこうと思う。

不安の原因は分かっていて、頻発するミスコミュニケーションが原因でいつか仕事なりコミュニティ活動なりで何かしら失敗しそうな気がしてならないのです。
ミスコミュニケーションの原因も分かっている。5年前、こっちの大学の2年目の時に、書く・話すの能力に比べて読む・聞くの能力が明らかに低いままな事に異常を感じてスチューデントサポートサービス(SSS)に相談してやり取りを繰り返したのち、様々なテストを受け、最終的にもらった診断が「聴覚処理障害」(Auditory Processing Disorder/APD)という診断名でした。他にも色々テストを推奨されましたが、英語が第二言語であることでテストができなかったり、日本で受けろと言われたけど日本ではそういうテストを受けられなかったりして、診断として持っているのはAPDだけ。

というわけで、本当は聴覚処理だけじゃ説明しきれない複雑な問題なんだけど、この記事では聴覚処理障害の観点から書きます。
聴覚処理障害というのは、耳から入ってくる音の情報が脳内でうまく処理されず、言語情報が言語情報として理解しづらいコンディションのこと。音自体はちゃんと聞こえているので耳は正常だけど、その後の脳内処理がうまく行かないので、補聴器をつければ解決するものではないし、見た目上分からないのが厄介な一種の学習障害。APDのコンディションの中でも色んな細かい分類があるのだけど、私が極めて苦手なのが、レクチャーやPDのように話し手が自分に向かって話しかけているわけではない状況で長く話を聞き続けること、会議やレストランなどで大勢での会話に長くついていくこと、パーティや野外など周りがうるさい状況での会話、相手がはっきりしゃべらない時など。そういう状況下で話を聞こうとすると、すごく集中して聞かなければいけない。話が長かったり複雑だったり速かったり、あるいは自分が疲れていたりすると、その時は理解できたつもりになってもきちんと記憶に残っていないことが多く、後で間違って解釈したり、聞いたこと自体を忘れたりしているのである。日本語ではだいぶミスは減ってきたけど、第二言語である英語ではまだまだ問題がよく起こっている。

大学ではレクチャーを聞いて理解しなければいけないし、時には他の学生とグループを組んでグループタスクを課題として出さなければいけなかった。友達を作るのが大好きだったおかげで英会話力自体はすごい勢いで伸びていったにも拘らず、いつまでたってもレクチャーやグループでの会話がチンプンカンプンなことに自分も周りもおかしいなと思っていたので、診断をもらった時はすごく納得したのを覚えている。診断をもらって以降、レクチャーで先生の声を直接イヤホンから聞くことができるFM補聴器という器械を大学が無料で貸してくれたり、グループタスクの際に考慮してもらったりと色々助けてもらえたお陰で、無事すべての単位を取ることができ、卒業もできた。診断をもらう前と後とでは、勉強の効率や成果がまるで違った。診断のお陰で周りの人が理解してくれているという安心もあったし、多くの人の配慮にも沢山助けられていた。人から助けられて教師の資格も動物学士号も取れたので、卒業したらそれらを使って沢山社会に役立てたいと思った。念願叶って、動物園での教育の仕事に就くことができた。


ところがその後まもなく経験した、動物園での失業。ここでも書いているけど、自分だけの問題じゃなく、度重なった自然災害や肩の怪我、ビザの問題などもあったので、本当にしょうがなかったと今でこそ思っているけど、仕事がなくなったその時は、やっぱり自分の失敗ばかりを責めてしまっていた。実際ミスコミュニケーションによる失敗はやっぱりあったし、そのことを指摘された時にAPDのことを初めて伝えたら、その一週間後に突然仕事がなくなったことがすごくショックだった。この時のことがどうしても心の傷となっていて、度々何かのトリガーで思い起こされるのである。


最近頭を付きまとう不安感も、それに似たものがある。最近本当にありがたいことに、仕事にもやりたい活動の機会にも恵まれ、信頼もされ、周りの人にも助けられ、順風満帆だと自分でも感じている。周りの人にも感謝しているし、今まで色々積み上げてきて良かったなとも思っている。動物園を後にした2カ月後くらいからずっと2年間くらい、特に落ちることもなく順調に走り続けてきた。その中で、やっぱり課題を感じている聴覚処理の問題はなくなったわけではなくて、所々でミスコミュニケーションも起こっているし、話が聞けていないことで仕事の効率にもかなり影響している。聞いたはずの情報を何度も確認したり、人と話しながら何かをするというマルチタスクができないことで、いつも人の二倍も三倍も時間がかかってしまっている。今のところ十分信頼も感じているし大きな失敗はまだしていないけど、APDの影響を何かしら感じる度に「今ある信頼をいつか失うんじゃないか」なんて不安になってしまうのである。





ケアンズに来てからと言うもの、大らかな人柄のせいか、こういう不安を口にすると笑われて終わることがほとんど。そのお蔭であまり悩みを気にせず来れたのでありがたいっちゃありがたいのだけど、やっぱり誰かに相談したいと思い、2年前にも相談したオーディオロジスト(聴覚専門医)のところに行ってきた。念のため再検査を受けた所、案の定、5年前と同じような結果。ホリデー中でストレスのほとんどない状態で受けてもこれだから、仕事中などストレスを溜めている時はもっと酷くなるので、不要なストレスを溜めないように心がけることが一番だと言われた。何か日常で支障なく使えるようなFM補聴器とかその他の改善策はないかと聞いた所、まだ現時点では無いと言われた。(FM補聴器はマイクとセットなので、レクチャーみたいに長時間一人の話し手を聞き続ける時しか使えないから、日常生活向きではないのです。)



でも長いコンサルテーションの中で、このコンディションのお陰で私が人よりも得していることが沢山あることも思い出させてくれた。

例えば、外国語の学習能力。人がしゃべっているのを聞いて、それを言語情報としてではなく「音」として分析する傾向が強いため、その人が話している内容よりも、発音や話し方の特徴などを自動的に捉えている。そういう脳みそなので、結果的に外国語の発音や言い方、表現法などを人よりも吸収しやすいらしい。
それから、音楽の能力。上と同じ理由で、音のリズムや強弱、高低などを分析・記憶する能力が高いらしく、音楽に有利らしい。
そして、私の負けず嫌いで知りたがり・やりたがりな性格、社交的な性格などが、APDのハンデを乗り越えるのに適しているのだろうと。話が聞けない分を補うべく自分で調べたり人に確認することで、結果的に他の人よりもしっかりと情報を頭に入れられてて、それが積み重なってここまでの道をたどって来れたのだろうと。話が聞けないことを恐れるよりも、「この人と話したい、仲良くなりたい」という気持ちが強いお蔭で、APDを人に感じさせずに会話するスキルが長年かけて身に着いたのだろう、と。そういう話を2年前にもしてくれていたことを、そのオーディオロジストと話しているうちに思い出すことができて、だんだん自信が戻ってきたのでした。


目に見えないがために、誤解を招きやすくメンタル面でのストレスが大きい、聴覚処理障害。やっぱり「あってよかった」とは思わないけど、でもこのコンディションがあったことで結果的に得てきたもの、そしてその得てきたものの積み重ねのお陰で今の私がある。そう振り返ると、APDというコンディションは今の自分に不可欠なものだったのかもしれないとさえ思えてくる。持って生まれたコンディションそのものは努力で変えられなくても、考え方を変えれば受け入れられるもの。今後もまたAPDのせいで不安になることが沢山あるだろうけど、そうなったらまたここに戻ってきて自信を取り戻せるように、ここに書いておく。

そして、どんなに物事がうまく行っても、色々な人の理解や助けがあってのことだということを忘れずに、感謝の気持ちを持って前に進んでいきたい。
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