アニマル×エデュケーション
Animal と Education がテーマのオージー娘が綴るつれづれ日記。

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変えられないものを受け入れること その3

前回のつづき

先週自分のメディカルコンディション(APDとそれに伴うメンタルストレス)のことをチームメンバーに話したと書きましたが、よかったことに、その後何人かと考えを交換する機会を持つことができました。やりとりそのものはやはり精神的にエネルギーを使いましたが、こういう機会を設けなかったら聞けなかったであろう本音や現実もいくつか知ることができて、周りの皆さんには感謝しなければいけないなと思いました。人の優しさにもいくつか触れる機会がありました。特に何も言わないけど、普段通り接してくれる人もいました。厳しさも優しさも無反応なのも、全部ありがたいことだよなと考えるようにしています。特に自分にとって新鮮だったのが、自分より人生経験の長い人よりも、むしろ自分より若い子たちの方が「話してよかったかも」と思わせてくれたことだった。子供や年下の子の前で自分の弱みを見せるのは恥ずかしいと思っていたのですが、いざオープンにしてみると、むしろ彼らの方が偏見もなく素直にまっすぐに受け入れてくれた気がしたし、今まで通りリスペクトしてくれているのが感じられて、そういう反応が一部でもあると心が楽になります。


話したことで初めて分かったこともあったのでそれだけでも良かったと思いたいのですが、厳しい意見を受け入れようとしたり誤解を正そうとしたりすることにとてもエネルギーを使ってしまったので、心が疲れてしまいました。心が疲れていることで、沢山心配もかけてしまっているだろうと思うし、人によっては嫌な気分にもさせてしまっているだろうと思う。でもそれに敏感に気付いているのに心を器用にごまかせない自分が悔しくて、余計に疲れていくといういつものパターンに陥ってます。

自分を阻む壁は、いつも自分。仕事も他の事もうまく行っていて心に余裕のあるタイミングで自分と向き合うことにしたのはいいけれど、こうなるのは予想していたけど、本当に楽じゃないです。言いたいことをサラッと言えて、返ってくる反応をサラッと受け入れて、サクッと気持ちを切り替えられる。自分がそんな人だったらどんなに楽だろうと思うのだけど、そういうことが難しいのも分かりきっているので、こうやってコミュニケーションを図る度にいちいちモヤモヤ考えなければ乗り越えられない自分も受け入れなければ仕方がない。完全に、自分との闘い。でもそれを承知した上で思い切って周りに話したことに意味があったと信じたい。どこかで話さない限り、ずっと隠しごまかし続けることになるだろうから。


自分の中で長年厄介に感じている部分が「変えられないもの」だと分かってから5年間、そのことは特に表に出さずに自分と一部の理解者の中だけで対処してきたわけですが、ある意味楽でした。学生時代は自分が目標達成することが自分の役割だったから周りとの歯車をかみ合わせ続ける必要がそこまでなかったし、オフィシャルなサポートにも恵まれていた。社会に出てからも、最初はいきなりの逆風を食らったが、その後は自分のスキルや才能をうまく活かせる機会に恵まれ続けて、特に問題なくここまで来れてしまった。今もその勢いは止まっておらず、仕事も家庭教師も折り紙も太鼓も、ありがたいことにご好評いただいている。それがあるからこそ敢えてここで「問題と向き合おう」という気になれたので、向き合いながらも今ある勢いをそのまま保ち続ける意欲は十分にある。


今のチームでこれからも長く続けたいという気持ちと、今までの経験から来る、「団体の中に長くいると歯車がだんだんずれてくる」という不安。二つの気持ちがどんどん大きくなり葛藤が生じはじめ、ここでごまかし続けたら長くは続かないと判断したので今回のような形でオープンにしたわけですが、一度話しただけじゃなかなか正しく理解しづらいことだったんだろうと思う。結果的に誤解や偏見を余計に与えて墓穴を掘ってしまったのか、それとも一部の人が言うように「話したのだからいい方向に向かっていくはず」なのか、今はまだ分からない。誤解されてしまったと感じた相手とも徹底的に話をして初めて意味があったのかもしれないが、そこまでの気の強さが自分にはなくて、結局現時点では中途半端な理解度まで持っていったまま私が疲れてギブアップしてしまったような、そんな感じで非常にじれったい。でもそれもいつものことなので、そんな悔しい気持ちもまた時間をかけて消化していけばいい。


こんな風に、考え始めるときりがないほど色んな考えが頭を巡ってしまいます。いつも忙しくするのが好きなのは、それだけやりたいことがあるのもそうなのですが、余計なことを考える時間を作らないためでもあるのです。だからそれが逆に周りを混乱させることもあるし、聴覚処理の問題から生じるメンタルストレスの部分をどこまで他人が理解してくれるかは本当に難しい部分だと思う。話してみた手前、完全に理解してもらうのは無理だろうとも思っている。周りの理解があろうとなかろうと、結局は自分が自分とうまく付き合えるかなのだろうから、周りに期待してはいけないとも思っている。


周りにオープンにするという形で自分の「障害」と向き合ったのは初めてのことなので、性格上期待より不安の方が断然大きくて今は正直しんどい。でも、少しずつ、私を解ろうとしてくれている人の優しさや、今まで通り私をリスペクトしてくれている人の期待(良い意味で)を感じ始めてもいる。そうやって徐々に本当の意味での理解者が増えていってくれれば、長い目で見たら結果的にこのプロセスを経て良かったと思えるようになるのだろう。だからやっぱり周りと自分を信じて、今まで通りのことを続けるのが一番なのだろう。


だから、今頭を巡っている大切な考えはここにきちんと書き残しておいて、せっかくあるスキルとチャンスを変わらずに活かせるように、気持ちを切り替えて今までどおり頑張ろうと思う。
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