アニマル×エデュケーション
Animal と Education がテーマのオージー娘が綴るつれづれ日記。

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鬱の意味

もう鬱と付き合い続けて何年になるんだろう。
日本を出るきっかけとなったのも鬱病だった。
その時ほど酷い状態には最近なってないけれど、
たまに心に訪れては去っていく、厄介な客、鬱。

こないだまでも、毎日忙しいのにも関わらずいつの間にかやってきて、
でも大事な事で忙しい時に鬱なんかに邪魔されたくなくて、
無視して上手くやって毎日の充実を楽しんでいた。
そしたら、ホリデーに入って暇になった途端、ドーンと心の隙に入ってきやがった。

”はいはい、分かりましたよ。今まで無視しててすみませんでした。
やっと暇になったから、思う存分向き合ってあげようじゃないですか。”

数日間かけてそれまで溜めていたネガティブな感情や思考と向き合い、
体の痛みをほぐす、聞いてくれる人に話す、寝たいだけ寝る、涙を流す
様々な方法で流しだした後、パートナーと大好きな自然を見て大好きな音楽を聴いて心を満たしていく。
そうやって1か月ほど私の心にちょっかいを出していた厄介なお客様には丁重に退散していただきました。

IMG_2415.jpg 


鬱と付き合って十数年。
トリガーがはっきりしている時もあれば、そうでない時もある。
今回はこれといったトリガーがあったわけじゃない。
どうしようもないいつもの悩みが吐き出せずに
だんだん積もってこうなった。

普段私を見ている人からしたら、私が悩みを抱えながら過ごしているなんて信じ難いかもしれない。
だって、相変わらず忙しく色んな所に出向いては、
折り紙ストール出して、バンドでステージ出て、よさこいで踊って太鼓叩いて、
毎日色んな学校で教えて、放課後は家庭教師して、
輝かしい毎日を送っているように見えたかもしれない。
実際、そうやって忙しく色んな所と関わっている時の自分が好きだし、
そんな毎日を送れていることがすごくありがたいと思っている。

じゃあ何が積もって鬱になるのかって。

 何かにこだわる癖がある。
 人と感覚が違う。
 コミュニケーションをとるための脳内プロセスも人と違う。
 (厳密に言うと聴覚処理障害。詳しくはこの記事で。)

 こだわり症、社会性のズレ、コミュニケーション障害
自閉症スペクトラムに分類される人の特徴を私は3つとも持っている。
私のように社会生活に支障のない場合を指す‘アスペルガー症’という言葉もありますが、
私自身はそれを病気とか障害とは捉えておらず、ただ人と違う特徴だというふうにしか捉えていない。
右利きに対する左利きのように、ただ世の中のマイノリティなだけ。
そう頭では思っているのに、グループの中にいるとどこかいつも孤立感があって、
心のどこかで理解者、共感者を探してしまっている。

そういう特徴があるのがありのままの自分だけど、こだわりや人と違う感覚を主張したりコミュニケーションがうまくいかないと人を不快にしてしまうのも経験上知っている。だから、人のグループの中に居るために、色々人には分からない我慢や工夫を無意識にしている。人と一緒にいるのが好きなのに、人のグループの中にいるだけでかなりの神経を使っている。もう大人になってから十数年経つので、その辺のコントロールは十分できるようになったと思っている。コントロールを学んで、毎日を忙しく充実させることもできたことは本当に幸せでありがたいこと。でもだからといって、ありのままの自分をずっと抑え込んでいれば、気づかないうちにストレスが少しずつ溜まっていって、ふとした瞬間に抑えていたものがあふれ出し、体の不調、心の不調という形で訴え始める。
それが今回の鬱の正体。



誰かに何か言われたとか、
何か大変なことがあったとか、
特にそういうことはなくても、鬱はやってくる。

私が私でいる限り、人とだいぶ違うマイノリティである限り、
鬱は自分を保つために必要なプロセスなんだろうなと思う。
鬱が来て、自分を抑え続けてたことを反省して、休息という形を通してありのままの自分を受け入れる。抑え続けていたネガティブな思考を吐き出し、そんな受け入れたくない自分のネガティブな声に耳を傾け、仕方ない、これも自分だと受け入れる。


そしてその後に必ず来るいい波に乗れるように、少しずつできることをし、波に乗り始めたらどんどん自分を出す。それこそ、こんな自分だからこそできることをどんどんアウトプットしていって、「こんな自分でよかった」と心から思えるように、今度は休む間もなく自分の持ち味を出し続けることで、自分が好きになり、周りへ感謝の気持ちが溢れ、人生最高~!と思えるようになる。

折り紙だって、音楽だって、勉強だって、ツールは何だっていい。人と感覚やコミュニケーション能力が違うからこそ得られたスキルを使って周りの人をハッピーにしたい。人の役に立つためにどんどん使われたい。ケアンズに来て7年、そうやって色んな形で自分をアウトプットして周りの人からハッピーをもらってきた。これからだって、私の生きがいはそこにあり続けると思う。



人と違うのは苦しい。
鬱の間はもっと苦しい。
けど鬱を通じて自分という存在を素直に受け入れた後には、
自分にしか発揮できないパワーが戻ってくることも知っている。

だから立ち上がったらまた、私にしかできないことをどんどんやって走り続けるだろう。
そうしたら、もう心配しないで、また応援してほしい。


そして私のこんな生き方が、私の周りにいる同志たちの励みに少しでもなってくれたら嬉しい。


読んでくれてありがとう。

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