アニマル×エデュケーション
Animal と Education がテーマのオージー娘が綴るつれづれ日記。

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日本を出よう!つづき

前回のつづき。
 前に進むよりも、今は立ち止まって自分のことを考えたい。健康も取り戻したい。
 そう考えて選んだ手段が‘休学’だった。

 実際、休学中の一年間は、色々なことしてました。
 まず最初に来るのが、英語の勉強。これは高校の時から続けようと思っていたことだけど、大学に入ってからなかなか本格的には勉強できなかったから、この機会にお金も時間もかけてちゃんとやることにしました。もちろんそれは、
「いつか海外に出たい。その時に語学が壁になって後悔するのは嫌だ。」
という思いがずっとあったからでした。海外への夢を現実にするのは、結局語学力だと思うからな。1年間スクールに通って、それなりの自信はついたように思う。
 そして次に、「教育」というテーマでの自分探し。予備校で英語と生物を教えるお仕事をしつつ、あちこち動物園に行って、「動物を通じた教育」について考えてみたりしました。それから、ボルネオ島へエコツアーのツアーリーダーとして行く機会も持てたし、フィールドやプレゼンを通じて後輩に伝えたい事を伝える機会も持つことが出来た。その中で、やっぱり私のやりたいことは「物事を伝えることなんだなぁ」と確かめられました。
 そして、「獣医としての自分」というテーマでの自分探し。とりあえず真っ先に来たのが「鳥を診れる獣医」、ということで、鳥がメインの動物病院で実習させてもらった。鳥の調教をするアニマルトレーナーさんにも出会い、鳥のしつけもちょっとかじりました。あとは、本当は獣医としてではないけど目指したい「動物園」。臨床以外も手がける動物園の獣医さんから色々学びました。初めは臨床スタートとは言え、最終的に教育活動に携わっている獣医師も結構いることが分かりました。野生動物救護の実習も経験しました。

 色々活動しつつ、自分のもう一つの課題だった「健康を取り戻すこと」も頑張りましたよ。文字通り「不調を治す」ことも、「自分とも周りの人ともうまく付き合っていける、ストレスにならない線を見つけること」も。
 休学中の一年間は、とにかく色々なことをしました。
 

 そして、休学中最後のビッグイベントが、先日のアメリカの動物園巡り旅でした。この旅は一人で行ったのではなくて、他の動物園に興味のある学生も一緒に、国内の某動物園の元飼育員であるN さんというおっちゃんが連れて行ってくれるというツアーのようなものだったので、その期間中は初対面のN さんや他大学の学生との団体行動でした。
 タイミング的にもシチュエーション的にも、「この約1年で築き上げてきた‘自分’を発揮すること」+「周りの人とうまく付き合うこと」が試されるような、そんな機会ともなったわけです。

 自分で言うのも何ですが、滞在中の1週間、本当に自分がキラキラしてたと思う。この1年色んな角度から国内の動物園を見てきて、色んなことを考えた肥えた目でアメリカの世界的に有名な動物園を見て回れたこと、アメリカという国を色んな角度から知れたこと、自分の英語力を試せたこと。そこで吸収&発揮した沢山のことが自信になって、探し続けていた‘自分’が表へ表へと溢れ出ようとしてるのが、ものすごく実感できた。だからといって、それを抑えずに‘自分スイッチ’[ON]状態ばかりだと団体行動乱すだろうし、変な子だと思われるのは嫌だし、そこはちゃんとうまく抑えながら周りと一緒に行動できたと思います。だから、この旅行は、自分も発揮できて新しいことも吸収できて、それを仲間と共有できた楽しい旅行として終わるはずだったのです。帰国後の電話までは・・・。

 このことは思い出したくもない辛いことだったけど、忘れてはいけないことだから、書かなくちゃ。
 帰国後、おっちゃんに無事に着いたことを連絡するように言われていたので、電話をした。そしたら、これまでの夢のような1週間が一瞬にして悪夢に思えるような、あまりにひどい言葉をぶつけられた。「無事帰りました。」の挨拶の後に「お疲れ様」の一言もなく、立て板に水のごとく不愉快なことを言われた。

 旅行中、あんなに色んな事を得意げに教えてくれたり冗談言い合ったりしていたのに、なぜ帰ってから突然こんなことを言われるのかわけが分からなくて、その時は言葉より先に涙が溢れてきて何も言えなかったけど、辛い経験からは学ばなければ。どういうことか考えた。

 私は今回せっかくアメリカに行くのなら、動物園だけでなく、アメリカの大自然も見に行きたいと思って、少しわがままを言わせてもらい、最終日に一足早く別れて、チャネル島という無人島へ行く計画を立てていました。それについては、おっちゃんに「分からないことがあったら遠慮なく相談しなさい。」と言われていたから、交通機関の事などを質問したりしていました。その他にも、動物園のことやアメリカの文化のことなど、色々学びたかったから、色々質問していました。それらに対しておっちゃんはとても快く答えてくれ、聞いていないことまで教えてくれるくらい、とても得意げだった。私は「アメリカのことや動物園の話をするのが好きなんだな」と思って、おっちゃんには動物園で感じたこと、アメリカの文化に触れて感じたことなどを思ったままに言ったりして、会話も弾んでいたように思います。
 ところが、帰るやいなや電話越しに言われたことは、
「旅行中、交通機関の費用や宿泊の費用のことを細かく聞いてきたが、ツアーの費用がもっと安く済んだんじゃないかと疑ってるのか。」
「アメリカは怖い国だから夜出歩くなとさんざん言ったのに、地下鉄は何時までやってるだとか聞くなんて、おれの言うことがまだ信用できないのか。」
「君は頭がいいから日本の動物園とアメリカの動物園とを見比べて日本の動物園の問題点に色々気づいてしまうのだろうが、それを日本の動物園で頑張ってる連中の前で言ってみろ。正直言って、君のような理想ばかりを思い描いて現実を見ようとしない人間は、絶対にどこへ行っても煙たがられてはねられるぞ。」
「少なくともおれは、君みたいな学生が参加した経験が今までなかったから一生懸命我慢して面倒見てましたが、正直君は自分自信を持ちすぎているようで、それが逆に怖くてヒヤヒヤしてたんだ。そんなおれの努力も分かって欲しい」
・・・・・・そんな風に思っていたのなら、その時にそう言ってくれたら自分だって質問を遠慮したりしたのに。遠慮せずに何でも聞けという言葉は、質問させてそこから人間性を判断するためだったの?それで勝手に私は自信家だと思い込まれて今さら愚痴を言われて、じゃあどうすればよかったの?全く納得いきません。

 N さんが思ったことを言葉を選ばずに言ってしまう人なんだということは旅行前から分かっていたし、Nさん自身も、それが原因で人と上手く付き合えないことは自負していることのようです。
 だけど、それにしてもさんざんな言われ方で、悔しくて自分を責めまくった。後で冷静に考えれば、その時の私は私なりに考えて行動していたのだから、責めることなんかなかったのだけどね。

 どうして日本人て、「嫌なことは嫌」とその時に直接言わずに後から間接的に言ってきたりするんだろう。言ってもらえた今回はまだしも、言われずに知らないうちに距離があいていたりとか、よくあることです。そういうのを、微妙な表情や言葉のニュアンスから読み取ってうまく対応を変えたりするのが日本人の人付き合いなんだよなぁ。だけど、言ってくれないとこっちは分からないよ!と思う。そういうのを読み取るのが苦手だし、こっちが言ってもないことを勝手に解釈されるのも嫌いだし、周りに分かって欲しいことは自分から口に出してしまう。そんな私は、この先この国で生きていても、人とうまく付き合えずにずっと自分を責め続けるのだろうか。‘自分スイッチ’を[ON]にするのに、いちいち周りにどう思われるのか気にして抑えてしまうのだろうか。

 アメリカにいる間に感じていた、表へ溢れ出て来る‘自分’を、帰った直後に真っ正面から叩きつぶされて、このことが今までの「海外へ出たい」という思いに火をつけることとなり、海外で働くことを真剣に考えてみるに至りました。
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